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Posted by んだ!ブログ運営事務局 at

2018年04月02日

象徴的に配される神像


 水辺で髪を梳かす美しい女性。画面前景には極めて装飾的に描かれる南国の強烈な陽光に光り輝く水辺が描かれ、その水際には三人の人物が配されている。この三名には誕生から生、そして死へと経過する人の一生の象徴化であると考えられている。

 象徴的に配される神像。本作に描かれる構成要素は、画家が己の遺書としてタヒチで制作した自身の最高傑作となる『我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか』へとつながる重要な因子のひとつともなっている。

 非常に奇抜で装飾的な水面の描写。サンテティスムの洗練を思わせる神秘的で奇抜な(特に前景の水辺の)色彩表現や、タヒチ滞在時の作品には感じられた劇場的な個性と感情の喪失など、明確な解答的構成・表現となっていることなどは特に注目すべき点である。  


Posted by カリンちゃん at 16:48

2018年03月02日

垂直な線はそれらに深みをもたらす

また画家自身は、この連作的なサント=ヴィクトワール山の作品の色彩について「地平線と平行する線は、神が目の前に与えた自然の一部であることを表し、垂直な線はそれらに深みをもたらす。

この風景の中に空気を感じさせるには、赤や黄色で表現する光の振動の中に、十分な青味を加える必要があるのだ」と述べており、本作からもその色彩展開が実践されていることがよく理解できる。

なおレ・ローヴからの視点でサント=ヴィクトワール山を描いた他の作品では、バーゼル美術館が所蔵する『レ・ローヴから見たサント=ヴィクトワール山』や、本画題を描いた最後の作品でもある、より重々しい雰囲気の『レ・ローヴから見たサント=ヴィクトワール山(プーシキン美術館所蔵)』などが知られている。  


Posted by カリンちゃん at 11:46

2018年01月30日

警察官がムーンウオークで交通整理、インド

 「ボリウッド(Bollywood)」映画に触発され、フレディ・マーキュリー(Freddie Mercury)のような口ひげを生やしているが、動きはマイケル・ジャクソン(Michael Jackson)――。インド中部の都市にある交差点で交通整理をする警察官に注目が集まっている。

 人口200万人の中部インドール(Indore)中心部の交通量の多い交差点で、人力車やトラックを避け、ムーンウオークをしながら交通整理をするランジート・シン(Ranjeet Singh)さん(38)に気付かない運転手はいない。

 シンさんはAFPの取材に対し「長い間マイケル・ジャクソンのファンで、12年前にムーンウオークのまねをして車を停止させることを始めた」と述べた。「始めはみんなびっくりしたけれど、年月を経るごとに素晴らしい効果を発揮して、評判も良くなった」という。

「騒音と無茶な運転手だらけの道路の秩序を保つのは非常に骨の折れる仕事だが、ムーンウオークを見た運転手や通勤途中の人たちはみな喜んでくれる」と強調した。

 悪名高いインドの道路は至る所で渋滞している上、穴だらけだったり信号が故障中だったりする。そして運転手はその怒りを交通整理している警察官にぶつけようとするケースが度々ある。

 シンさんはこれまでに危険な運転で命を落とした40人以上の若い運転手の遺体を事故現場で収容したと述べ、交通ルールは守ってほしいと訴えた。  


Posted by カリンちゃん at 11:00

2017年12月30日

朝の柔らかな陽光を前半身に浴びる初老の男


 朝の柔らかな陽光を前半身に浴びる初老の男。1887年に開催されたアンデパンダン展(無審査出品制の美術展覧会)への出品作であるほか、よく1888年の「二十人会」展へも出品された本作は、画家の母と祖父をモデルに、ブルジョワ階級層(富裕層)の朝食風景を描いた作品である。

 カップを手にしショコラ(又はコーヒー)を楽しむ婦人。画面奥でカップを手にしショコラ(又はコーヒー)を飲む婦人(モデルは画家の母)は窓から射し込む陽光に背を向けた位置に座るため、その表情は陰に隠れ曖昧に見える。

 細かな点描による密度の高い厳格な対象表現。科学理論に基づいた点描表現によって描かれる本作は、ブルジョワジーの優雅な朝の情景を見事に捉えており、観る者に彼らの幸福なひと時を共有させる。
  


Posted by カリンちゃん at 11:07

2017年11月30日

背景には画家の希望によってリュクサンブール公園の一角が描かれている

画面中央では、太陽神アポロンに付き従う諸芸術を司る9人の女神ミューズ(ムーサ)の中から、喜びや叙事詩を司るとされているエウテルペ(又は恋愛詩を司るエラート)に扮したローランサンが、詩人(本作ではアポリネール)に霊感を与えるという、古典的主題に即した場面が展開されており、背景には画家の希望によってリュクサンブール公園の一角が描かれている。

これら主題(人物)と背景の密接な関係性は、画家が自画像として制作した『風景の中の自画像(私自身、肖像=風景)』でも示された、風景(背景)と肖像の一体性に他ならない。また人物やカーネーション、木々など構成要素の描写でも、伝統的な写実的表現を大きく逸脱した、対象の真実性に迫る独自の表現が用いられており、観る者を画家独特の世界観へと惹き込む。

  


Posted by カリンちゃん at 16:09

2017年11月20日

親切過ぎる!

韓国のインターネット掲示板にこのほど、福岡を旅行で訪れた韓国人が驚いた体験をつづったスレッドが掲載され、話題となっている。

スレッド主は福岡旅行で印象的だったこととして「人が親切過ぎること」を挙げている。

スレッド主はまず、うなぎ丼を食べるために入った飲食店で、膝をついて丁寧に注文を取る店員の姿に驚いたという。さらにバスの中で空席の前に立っていた時、1人の女性が「いいですか?」と尋ねてきたため「もちろんです」と答えたところ、女性は3回もお礼の言葉を述べたという。これについてスレッド主は「きっと韓国人だったらそのまま座るだろう」と落胆した様子でつづった上で、「帰国してから日本語の勉強を始めたよ」との言葉で日本を再訪する考えを伝えている。

このスレッドを見た他の韓国ネットユーザーからは「日本はどこの店に入っても店員がとても親切」「日本にはちゃんと“人間”が住んでいるから」「日本は物価が少し高いけど、治安、衛生面、食べ物、人の親切さでカバーできる」「韓国の親切度を20%とすると、日本の親切度は90%!」などスレッド主に共感するコメントが多数寄せられている。中には「来世はカナダか日本に生まれたい」と願うユーザーも。

また、「日本人は自分たちが親切であることに気付いていないところがいい」「不思議なことに韓国人は日本人を親切だと言い、日本人は韓国人を親切だと言う」などの意見もあった。

一方で「日本はカード払いできるところが少ない。いちいち現金を用意するのが面倒くさい」「英語を話せる店員が増えてくれたら助かる」など日本の短所に言及する声も見られた。  


Posted by カリンちゃん at 16:56

2017年09月21日

王制(旧体制)の影響や痕跡が強く残るポール=マルリの街の歴史を刻む記録画的な作品としての側面もある

 どんな日常にもある不安的要因として、予期しない出来事(本作では洪水)や外的要素によって、平穏な日常が破壊的に侵食され、変容してしまう姿を描いた本作であるものの、波立つ水面の筆触を感じさせる描写や、厚い雲間から射し込む陽光によって微妙に変化する色彩の自然的な表現は、観る者に強い印象を与えるだけでなく、王制(旧体制)の影響や痕跡が強く残るポール=マルリの街の歴史を刻む記録画的な作品としての側面もある。

 なお本作以外にポール=マルリの洪水を描いた作品では、本作の左斜めから見た視点で描かれる作品『ポール=マルリの洪水と小船(オルセー美術館所蔵)』や、本作とほぼ同様の視点・構図の作品『ポール=マルリの洪水時の波止場(ルーアン美術館所蔵)』、本作と逆の視点から上流方向を描いた作品『ポール=マルリの洪水(フィッツウィリアム美術館所蔵)』などが知られている。

  


Posted by カリンちゃん at 16:30

2017年09月11日

豊潤な官能性を感じさせる裸婦の身体

 横たわる裸婦のやや澄ました表情。本作は画家がそれまでに幾多も手がけてきた≪横たわる裸婦≫を画題とした作品で、1903年頃からルノワールはクッションを背にした横たわる裸婦の連作をしており、本作はその中の最も完成度の高い作品として広く知られている。

 豊潤な官能性を感じさせる裸婦の身体。輝きを帯びた色彩と豊潤な官能性の表現が圧巻である本作の豊満な裸婦の身体からはルノワール作品特有の肉体的女性美が強く感じられ、画家の裸婦に対する強い執着を見出すことができる。

 自然体に組まれた裸婦の脚。横長の画面の中央へ配された僅かな白布を股に挟みながら横たわる裸婦は、緊張の色をまるで感じさせない非常に自然体な姿態で描かれており、観る者に柔らかな安心感を与えている。  


Posted by カリンちゃん at 12:08

2017年08月31日

知識を詰め込むだけじゃない!

 中国では教育といえば「知識を詰め込むこと」を意味し、子どもに道徳や自立を教えることについては教育として捉えられていないように見える。それゆえ、日本では子どもたちに知識以外についても学ぶ機会を与えていることが中国人にとっては驚きに値するようだ。

 中国メディアの今日頭条はこのほど、日本の教育は中国人にとって「背筋が凍る」ような内容であると伝え、日本人にとってごく当たり前の教育も、中国人にとっては震撼すべき内容であると報じている。

 記事は、日本のどこでも見られる一般的な小学校の教室の写真を掲載しつつ、生徒たちによる習字や絵などが教室に展示されていることを指摘。日本では教科書の知識だけを詰め込むのではなく、子どもたちが持つ無限の可能性を考慮した幅広い教育が行われていると紹介した。

 また、国語の授業では「俳句」など、現代において一見役に立たないようなことも教えていることを挙げ、日本がいかに伝統文化を重視しているかの現れであると指摘。さらに日本では家庭科の授業もあり、子どもたちが自分で料理ができるよう、包丁の使い方や煮炊きの方法などまで教えると指摘。当然、子どもたちは下ごしらえから実際の調理、そして後片付けまで自分たちで行うのだと紹介した。

 記事は指摘していないが、日本の学校では日本人としての道徳を教える授業や、体育の授業もある。中国では体育の授業は存在するものの、簡単な運動をするにとどまっている。中国ではスポーツは能力のある、選抜された子どもたちがするものであり、中国の学校では部活動も存在しないのが一般的だ。つまり、中国の学校は知識偏重型であるのに対し、日本の学校は子どもたちが持つ可能性を考慮しつつ、社会人として生きていくための広範な知識を教えていると言えるだろう。  


Posted by カリンちゃん at 14:31

2017年08月21日

青衣の女(パリ女)


 印象派の巨匠ピエール=オーギュスト・ルノワールを代表する人物画作品のひとつ『青衣の女』。1874年に開催された第1回印象派展への出品作である本作に描かれるのは、ルノワールと親しくしていたオデオン座の舞台女優≪アンリエット・アンリオ≫である。

 画面のほぼ中心に描かれるアンリエット・アンリオはやや斜めに身体を傾けているものの、その顔は真正面を向き観る者と視線を交わらせている。本作の最も魅力的な部分のひとつであるアンリオの表情は、うっすらと笑みを浮かべているように柔らかく幸福感に溢れており、観る者を魅了する大きな瞳と愛くるしい口元など彼女の特徴を的確に掴んでいる。

 また本作の名称ともなっている鮮やかで気品漂う青色の衣服(ドレス)の、当時の流行に沿ったシルエットの優雅な曲線と軽々とした薄布の表現は秀逸の出来栄えを示している。  


Posted by カリンちゃん at 17:45